7月27日に開催された沈黙[朗読×音楽]瞑想コンサートの感想(レポート)が、キッド・アイラック・アート・ホールのブログに登場しました。
書き手は画家でダンサーであるkana.さん。アーティストらしい感性で、このコンサートを「体験」してくださったようです。
今回は床に寝転がれるよう、会場側のご配慮で、床を掃除してクッションを置いてくださいました。以前から、そのように聞けるといいなあと言っていたので、ついに夢が実現、記念すべき第5回コンサートとなりました。
会場は3階と4階の吹抜空間です。お客様は思い思いの場所に陣取って、椅子に座ったりクッションを並べて寛いだり。
水城さんのイントロダクションの後、明かりが一灯に落とされ、いよいよ始まります。
コンサートの構成は、現代朗読の公演としては珍しく毎回基本は同じ。前半は「沈黙の朗読」、それを受けて「音楽瞑想」へと入っていきます。
「沈黙の朗読」パートも、ピアノとのセッションです。この日はピアノ先攻でスタート。
「水城さんのピアノ…
ああ、素晴らしかった。
何故だか涙が溢れてきてしまうピアノ。
次々と街や風景や情景が浮かんできます」
こんなとき、ピアノの音は舞台装置のよう。演奏が、空間を「聴き入るための箱」へと構築していくようです。
「そして、野々宮さんの朗読が響く。
でも、なんだか朗読を見ているというより、ダンスや身体表現のパフォーマンスを見ているような気持ちになりました。
そんな風に、身体が動いていく…
ああ、そして、深く深く意識の底に潜っていく。こんな感覚は、ほんとうに不思議でした。
雨にザーッと降られたような、そして目をあけて戻ってくるのは海の底から浮上するような。すごかったな…」
最初は言葉に伴う意味にひかれて聞き入っていたのが、次第に意味が落ち、音になり、しかしときどき切れ切れに耳に飛び込む言葉がイメージを掻き立て、自分の中のイマジネーションが飛び跳ね、流れ始めます。
沈黙、暗転を経て、ノンストップで音楽瞑想パートへ。
数年前は「ディープ・リスニング」と呼んでいた、自身の深いところへいざなう即興の音世界が、これから30分以上繰り広げられるのです……。
これは、「体験型」コンサートです。
体験といっても、一緒に歌うとか動くとかではない、「極私的体験」にいざなうものです。
続けて参加してくださっている方々は、聞こえ方見え方が変わってきたとのこと。
体験の深度の深まりや、右脳の反応が良くなってきたようで、感想も言葉から絵になったりダンス的なものが自然と出てきたりしていました。
見せる、聞かせるのではなく、その場を共有した人が音をきっかけにそれぞれに体験する時間。
人それぞれ感度は違うので、誰もがすぐそのような反応ができるようになるわけではありませんが。月に一度、感覚を磨いていくワークショップ的な側面もあるコンサートなのです。
kana.さんもこんな推薦の言葉を書いてくださっていました。
「これは、ぜひ皆さんに体験していただきたいのです。
普通、公演となると、何か感想や気付きを持ち帰ろうとか、理解しようとか、いろいろ考えてしまうとおもいます。
それが、この時間は、贅沢です。
自分自身に向き合う時間。それを、誘う音と声…
意外と、こういう時間が、機会が、私たちに必要で、大切なのではないかなぁとおもいます」
「これは公演、ライブであると同時に、ご来場いただいたみなさんにある種の『体験』そのものを提供する、まったくあたらしい試みでもあります。
ともに深く、ことば、静寂、音、そして空間とご自分の存在そのものをあじわってください」
お仕事帰りに焦らず寄れる20時開演。毎月1回、明大前でお待ちしています。
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